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zoom RSS <随想>漢方鍼医への道−5

<<   作成日時 : 2014/04/25 16:02   >>

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7.東洋はり医学会を退会
 平成2年(1990年)頃より独自の勉強会を持つようになり、月2回、土曜日の夜に五生会と称して五人で研修会を続けたのもこの頃からである。メンバーは、私と上手民男・山本政夫・鹿田英夫・高橋辰夫の諸氏であり、基本的資料は「素問」「霊枢」「難経」「傷寒論」「古典の学び方」等であった。

 研修会ではモデル患者の身体を通して、気血営衛の生理や病理、脉状や脉証の診察、病症の病理考察や鍼手法との相関性等々につき臨床実践を繰り返したものである。実技修練の後は、テーマに基づいて理論の研修もした。酒を飲みながらではあったが大いに議論を闘わしたものであった。 

 今ひとつの研究会はレインボーと命名して7人で研修した。こちらは毎週一回、治療室が終了してから集まり実技研修を中心として修練したものである。メンバーは、加賀谷雅彦・高橋祐二・小里光義・新井康弘・新井敏弘・上手民男の諸氏と私の7人であった。毎回終電車で帰宅する事が常となったのであるが、研究会での修練はそれこそワクワクするものであり有意義なものであつた。   
 この研究会での実技研修の目的は、相剋整の検討と気血営衛の病理に基づいた選穴理論による鍼手法と脉状診の研究を繰り返し修練したものである。大変に多くの実績を得る事ができ、その日に研修した成果はただちに翌日からの臨床にて実施されたのである。新たな疑問や発見は、各自次回の研究会に持ちより堅実に消化するように努力した。
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 この様な我々の行動が本部の役員には造反活動のようにとられていたようであり、陰ながら注意する者も何人かいたが研究会を中止する事はしなかったのである。何もやましい事をしていないのであるから当然である。しかし、本部の疑惑は進み理事会の議題にも取り上げられたのである。私達は潔白を証明する為に研究部における発表の場を要求した。協議の結果この事は認められ、平成4年(1992年)10月に私と加賀谷氏が研究部にて発表する事になった。
 
 加賀谷氏は『選穴について』と題して、経絡治療における病理の重要性と本治法の選穴につき発表した。その中で、相剋調整の問題点を指摘したのである。私は『難経医学の選穴法について』と題して、難経医学の治病理念と選穴法について発表した。特に難経医学の目指す選穴理論に言及し、陰陽剛柔論こそその基本理論であると強調したのである。この選穴理論の考察は、間接的に相剋調整理論の問題点を指摘する事になったのである。

 我々の発表は、研究部の会員にはおおむね好意的に理解されたようであったが、本部理事会での雰囲気ははなはだ不評であり厳重に注意されたものである。
 我々は決断を迫られていたのである。決断は早かった。レインボーで協議を重ねた末、納得出来るものではないが東洋はり医学会を去る事に決めたのである。そして、正統な鍼灸医学が研修できる研究会を創立する事に覚悟を固めたのであった。私達は11月に東洋はり医学会を正式に退会した。


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