アクセスカウンタ

<<  2014年4月のブログ記事  >>  zoom RSS

トップへ

タイトル 日 時
<随想>漢方鍼医への道−5
<随想>漢方鍼医への道−5 7.東洋はり医学会を退会  平成2年(1990年)頃より独自の勉強会を持つようになり、月2回、土曜日の夜に五生会と称して五人で研修会を続けたのもこの頃からである。メンバーは、私と上手民男・山本政夫・鹿田英夫・高橋辰夫の諸氏であり、基本的資料は「素問」「霊枢」「難経」「傷寒論」「古典の学び方」等であった。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/25 16:02
奈良公園散歩−4
奈良公園散歩−4 ◆興福寺 ◇興福寺五重塔 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/19 18:47
<随想>漢方鍼医への道−4
<随想>漢方鍼医への道−4 6.鍼灸の臨床に病理を!  私が東洋はり医学会に在籍していた約20年間、当時の治療は十二経絡病症をはじめとした局部の病症に基づき、病症と経絡との相関性に重点が置かれていた。その病症論の延長に脉状診を考えていたから、脉状の理解が即、手法につながるわけである。脉状により病理を読み解くというような思考法はそこには現れなかったのである。  また「霊枢」九鍼十二原や「難経」76難に書かれている手法は留置鍼ではできないとして補瀉の手法を事細かに開発したが、ここにも病理の考え方はなかった。病証論や脉状診は... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/14 16:25
奈良公園散歩−3
奈良公園散歩−3 ◆天平の華・光明皇后  光明皇后は、古代史の怪物・藤原不比等と橘三千代の間に生誕された、天平の華のような魅力的な女人であり光明子と呼ばれた。  16歳の時、父不比等の策する政略結婚で聖武天皇の妃となり光明皇后となられた。ここから、彼女の波乱に満ちた生涯がはじまる。  公明皇后は、無比の美貌と端麗にして気高いお姿をしていたという。信仰心にも篤く、夫・聖武天皇と共に壮大なる大仏開眼や法華滅罪寺の建立などの国家事業に努められた。特に、法華滅罪寺における癩病患者に対する伝説は、皇后の優しさと徳のあ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/11 17:37
<随想>漢方鍼医への道−3
<随想>漢方鍼医への道−3 5.池田政一氏との出合いと「古典の学び方」   「経絡鍼療」を編集して10年以上が経過した。学会誌もその内容や体裁がかなり充実し読者も500名を超えるまでになった。当時の学術理論は『相剋調整』の理論的構築と臨床研修の一点に絞られていた感が大いにあった。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/10 16:20
奈良公園散歩−2
奈良公園散歩−2 <東大寺の歴史と大仏殿> 東大寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願により古代日本の国家的事業の一つとして建立された総国分寺である。天平勝宝四年に、金堂に盧舎那仏を安置し盛大な開眼供養が行われた。 しかし、治承四年(1180年)に、清盛の子・平重衡によって興福寺とともに焼かれた。その後、後鳥羽天皇より僧重源に東大寺再建の命が下り、重源は鋭意奮闘すること10数年、ついに焼失前と同じ規模の再建をなしとげた。 しかし、戦国時代の武将・松永久秀により大仏殿を含めて東大寺はまたまた焼かれてしまったのである。... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/09 10:19
<随想>漢方鍼医への道−2
<随想>漢方鍼医への道−2 3.「経絡鍼療」を編集  昭和47年(1972年)に日本経絡学会が結成された。この学会は、伝統的鍼灸医学である経絡治療を基本的に研究するはじめての全国的な学術学会であった。これで、経絡治療普及の土俵が出来たのである。第1回学術総会が翌年6月3日に東京のニッショーホールを会場として開催されたのである。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/08 14:38
奈良公園散歩−1
奈良公園散歩−1 ◆奈良公園は歴史の宝庫である 国立奈良博物館には、世界に誇る古き仏たちがおわす。こころ行くまでお会いした。 飛火野の新緑はすばらしいと言うしかない。鹿達も優しく私を迎えてくれた。のんびりとした時間が過ぎてゆく・・・・・・。 大和路の旅は、本当にこころ楽しいものだ。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/07 11:54
<随想>漢方鍼医への道−1
<随想>漢方鍼医への道−1 1.故福島弘道先生との出合い  昭和43年(1968)2月の日曜日、私は弘道先生のご自宅を訪問し先生と対座していた。勿論、正式には初対面であった。話の主導権は初めから先生の方にあった。話の主題はいつしか鍼灸医学における第3医学の構築におよんでいた。先生は伝統的鍼灸医学の素晴らしさについて、全くの素人である私に情熱を込めて詳しく話してくれたのである。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/04 16:06
<論考>中国伝統医学について−5
<論考>中国伝統医学について−5 <脉法の体系>  素問・霊枢を始めとした脉法の歴史の流れに決着をつけた。所謂、寸口脉診として体系ずけたのでる。   寸口脉診→六部定位脉診・菽法脉診・三部九候脉診  ※5難   三菽⇒肺・皮膚   六菽⇒心・血脈   九菽⇒脾・肌肉   十二菽⇒肝・筋   十五菽⇒腎・骨  ◇骨に至る  ※18難   三部⇒寸・関・尺   九候⇒浮・中・沈  ※23難 人迎寸口脉診⇒「脈経」の人迎気口脉診 右関前一部⇒気口(内傷) 左関前一部⇒人迎(外傷) ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/03 15:11
<論考>中国伝統医学について−4
<論考>中国伝統医学について−4 7.伝統医学への体系 『難経』 @難経は、素問・霊枢と並ぶ三大古典典籍である。 A成立は、「傷寒論」出版の少し前である前漢後期のBC106年か190年頃。 著者、編者は、秦越人扁鵲が定説。しかし、私は個人の著作ではなく「扁鵲学派」といわれる医術集団により編纂されたものと思う。 B難経編纂の真価 「黄帝内経」素問・霊枢は、かなりの混乱はあったが伝統医学の全体像を描き出した。しかし、医学理論や技術は統合されずに雑然としてものであった。 難経は、鍼灸医学において医学理論・技術論を体系化する... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/04/02 10:41

<<  2014年4月のブログ記事  >> 

トップへ

馬場のはりブログ<院長独白> 2014年4月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる