馬場のはりブログ<院長独白>

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zoom RSS 二上山慕情−2

<<   作成日時 : 2014/06/09 11:25   >>

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<大津皇子の悲しみ>
大津皇子の生涯は短かくて悲しいものであった。
天武天皇の第3皇子に生まれ、幼少より天賦の才があり容姿端麗で人望があった皇子であると言われている。しかし、それ故にこそ悲劇的な生涯となってしまったのだろう。大津皇子の墓と言われる陵墓が男岳にあり、墓前には葛木二上神社がある。
大津皇子は謀反の罪で捕えられ、幼少時より遊んだ磐余池の堤のほとりで処刑されたのである。それは、逮捕されて二日目の事であった。20歳をいくつも出ていない、将来有望な青年の短くも悲しい死であった。その謀反の罪とは、持統天皇の皇子・草壁との王位継承に関係があったと思われる。草壁皇子は病弱であり、学問・人格など全ての点で大津皇子に比べ見劣りしていたと言われている。持統天皇の疑心暗鬼が、大津皇子を無実の罪に貶めたものと言われている。これが、悲しい歴史の事実である。

◇大津皇子
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大津皇子が処刑される時、磐余池の堤で読まれた歌が残っている。
ももつたふ、磐余の池に鳴く鴨を、今日のみ見てや、雲隠りなむ
<歌意>これまでは、たびたび磐余の池に来て遊んだが、その池の鴨も今日で見納めだ。これを限りとして、自分も死んでゆくことであろう。

◇二上山遠景
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ただ一人の弟である大津皇子の死をきいて、伊勢神宮の斎宮として仕えていた姉大伯皇女が、急ぎ大和に帰り詠んだ二上山の悲歌が残されている。

うつそみの人なる我や 明日よりは、二上山を阿弟(いろせ)と我が見む
<歌意>肉体を持った人間である私としては、大事な弟を葬った山だから、明日からは、二上山をば兄弟と見ねばならぬだろうか・・・・・。


◇二上山遠望(山辺の道より)
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二上は皇子おわす山秋の暮



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