馬場のはりブログ<院長独白>

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zoom RSS 二上山慕情−3

<<   作成日時 : 2014/06/11 15:59   >>

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<大津皇子の人物像>
悲劇の主人公、大津皇子とはどのような人物であったのか想像してみよう。
24歳を一期としてこの世を去った皇子。大津皇子の死は、人々からとても残念がられ大変に惜しまれたという。
大津皇子は、幼少より将来を嘱望されていた。文武にも秀いでていたという。
それを裏付ける資料がある。「懐風藻」という権威ある漢詩の書物に、皇子の漢詩が数編掲載され残っている。いずれも、堂々とした内容の誌であるという。身長も、当時としては立派なものであったようだ。つねに先進的な学問には貪欲であつた。その上、心優しき青年であったという事が諸所に書かれているのだ。
大津皇子の死は、父である天武天皇の死後一か月の事である。おそらく、皇子の心中には天武という大きな後ろ盾を失い、密かに死を覚悟していたのではないか・・・・・・。時代はそのようなものであったのだ。潔い決断力である。
大津皇子と姉である大伯皇女とは、万葉集に残る歌を詠むと、どうも恋愛関係にあつたと思われる。二人は、母は違ったようであるが姉と弟である。しかし、当時の男女関係は自由で大らかであったようだ。中々のロマンチストであったのだ。大津の人柄を良く現している。
大津皇子は、どの様な容姿をしていたのか・・・・・。
身長もあり、現代的な青年であったようだ。よく言われていることだが、山田寺の本尊であり、後に灰燼となった金堂床下より発見さ「山田寺仏頭」と言われる薬師如来に良く似ていたという。眉目秀麗な好青年であったのだ。

◇当麻寺の三重塔・二塔が現存する天平の寺
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二神の寺のきだはし秋たけて 山のしづくに ぬれぬいぞなき   八一

◇桧原神社参道より
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二上はもの想う山春の朝

◇夕日が沈む、何か神々しい
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◇夕日に映える二上山
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