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zoom RSS 医は意なり(古語)

<<   作成日時 : 2014/06/04 15:26   >>

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この「ことば」を座右の銘としておられる医師や鍼医は多いにちがいない。私もその一人である。この古語は極めて古く、その源流は中国の前漢期まで遡ると考えられる。わが国でも、曲直瀬道三の「啓迪集」に「臨機応変ハ医ノ意也」とあり、特に江戸時代の医人に広く愛唱されたことばである。

◇医は意なり(小川丁鶴書)
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江戸中期頃に、筑前(現在の福岡市)に亀井南冥という儒者にして名医がいた。南冥は年少にして医学を吉益東洞に学ぶが、彼の医説に疑義があり質問するも相手にされなかったのでその門を去った。その後、大阪の永富独嘯庵(山脇東洋の高弟)の門に入った。師の薫陶よろしくを得て学才大いに上がり、独嘯庵の三傑と称されるまでになった。南冥20数歳の時である。彼の学んだ医学は古医方に属するが、治療の実際は「傷寒論」一辺倒ではなく李朱医学も病状により活用した。まさに「医は意なり」を信条としていたのである。
その南冥の著書「医憲」に、『医者意也、意生於学方無古今、要期乎治』の一文がある。このことばについて、大塚恭男氏の名訳があるので記す。
「医師が臨床の場において、的確な判断を下すためには、通り一遍の教科書の知識は役に立たないものである。機に臨んで変に応じた処置を決定するのが、すなわち意であって、意は深い学問によって初めて体得されるものである。昔の医聖の手になった方法であっても、それのみを金科玉条とするのは間違っているように、最新流行の方法に無批判に従うのも考えものである。医師の使命は患者を治す事にあるのであって、それ以外の何ものでもない」
しかし、すべての医師がこの「ことば」を南冥のようには解釈はしなかったのである。国学者・上田秋成は、「医者意也」をまごころをつくして治療にあたるべきであると解釈した。当然、それは本来の意味とは異なるものであるが教えられるところは多い。秋成は、医学は中年より学び刻苦勉励したためにその努力には異常なものがあったのである。秋成は自身の能力を考えて「医は意(こころ)なり」と読んだのであろう。患者に対しては誠心誠意を尽くすべきものとし、このことばの真髄としたのである。

最後に、「医者意也」をもじって当時の医者を痛烈に批判した文章を一部紹介したい。『「医者意也」の確言は万事に通ず。医は衣なり、衣服を美にす。医は異なり、異言、異体にす。医は稲荷、尾を出さずして人をたぶらかす。医は居なり、父祖の余蔭にて居ながら大医となる。医は唯なり、何事もハイハイと言うて承諾す。医は位なり、位階が上がるほど薬代厚し。医は以なり、弁を以って人をたぶらかし、一を以って九に倍す。医は違なり、言行相違するなり・・・・・・』この様な、痛烈な批判や非難、揶揄には耳が痛いが、この事は現代の医療制度にも大いに通ずるものがあるものと思う。

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